偉大な文明の地
エチオピアは誇り高く、人類発祥から現代にいたるまでの長い歴史を持っています。アクスム王国は古代世界の素晴らしい文明のひとつであり、古都アクスムには、巨大オベリスク(石柱)が聳え、ミステリーが残されています。中世の末には、国の大部分で、偉大な宗教文明が繁栄し、特にラリベラの巨大な一枚岩をくりぬいて抜いて作られた岩窟教会は、偉大な信仰だけでなく、建築技術の高さをも証明しています。以前の首都であったゴンダールには、多くの城が歴史遺産として残され、その遺産が物語っています。これらの歴史遺産を巡るだけでもエチオピアの魅力を十分に堪能することができますが、エチオピアには、更なる魅力が多く潜んでいます。
アクスム
アクスムは3,000年以上の歴史を持つ、有史以前に栄えた古都です。キリスト教を国教として初めて受入れた文明の発祥地であり、シバの女王が統治した王朝の中心地でした。アクスムはエチオピア、セム族の王族が眠る聖地です。アクスムは世界一高い一枚岩の石柱でも有名です。ある専門家は、古代王室の重要人物が逝去した際に、建立されたものであると信じています。または天文学の施設として建てられたと言う人もいます。一番高い塔は33メートル以上ありますが、現在では倒壊し地上に放置されています。サハラ以南のアフリカ大陸で一番古い教会は、4世紀頃に建てられたシオンの聖マリア教会です。ファシリダス皇帝は、1635年に、現在でも多くの人達が訪れる新しい教会へと建て替えました。この教会は銃眼付きの胸壁を備えた、要塞のような壁で知られています。
ラリベラ
世界の8不思議の一つとして知られている“ラリベラ教会群”は、エチオピア人またエチオピア人以外の人たちにとって、祈りの場そして崇拝の場です。8世紀以上も前に、巨大な一枚岩を手で掘って造られた12棟の教会の荘厳さと美しさは、見る者を圧倒します。ラリベラの地名は12世紀初めに誕生したラリベラ王にちなんで名づけられましたが、後に「自然の奇跡」の異名となりました。将来の王となる王子が誕生した時、蜂の群れが彼の周りを飛び回ったことから、その蜂は将来の王に仕える兵士達であると信じられたのです。そこで王子の母は“蜂が王の主権を認める”という意味の“ラリベラ”と名づけられました。
その伝説は現実となり、ラリベラ王は巨大な一枚岩の教会を建設する際、天使の助けを得ることができたのです。ヨルダン川の両サイドに建てられている教会群は、今日でも荘厳な崇拝の場として国内また国外からも多くの人達が訪れます。
ハラール
ハラ−ルは大変歴史が古く(1520)、神聖な街です。また重要な交易拠点であり、歴史的な建造物や街を外界から包囲する壁の存在でも有名です。さらに街には99のモスクがひしめき、イスラム教の学問や学習の中心拠点でもあります。また繊維、手作りバスケット類、銀食器、素敵な装丁本など、華美で見事な手工芸品などでも知られています。ハラ−ルは、また、長年にわたり世界各地から巡礼者が集まるイスラム教の聖地なのです。街の名所に、街を包囲する壁、ランボー・ハウス、ハイエナ・マン、バビル象禁猟区などがあります。
デブレ・ダモ
ダモはエチオピアの修道院ですが、大変ユニークで決して忘れる事はできないでしょう。女性の入場は禁止されていますが、男性でも大きな障害を超えなければなりません。実は修道院は地上から25メートルの急な断崖の上に建てられているのです。僧侶は訪問者が体に巻きつけて登るためのロープを上から降ろします。この様に大変困難で危険な場所に建てられていることから、デブレ・ダモの壁画芸術は1,400年の時代を経ても、柱や天井に施された複雑な彫刻や多数の絵画は、全く変わらない状態で残されています。
イェハ
イェハはエチオピア北部で最も早く繁栄した文明の中心地です。イェハへの旅は起伏に富んだ折り重なる様な台地を通り、やがて地平線まで伸びると思われる穏やか耕地へと続きます。そこに現在は崩壊していますが現代の教会に大変類似していたと思われる、約2,500年前にサビ教徒人が建てた「イェハ寺院」の塔が見られます。
寺院は堂々とした長方形の建物で、屋根と上階の部分は崩壊して久しいのですが、地上から12メートル程度の部分は現存しています。夕闇が迫る頃、教会の外壁を覆う石灰石に、暖かくそして黄金に輝く夕日が反映します。巨大で、しかも正確に組合されてた壁岩は、一滴の水も漏れない構造になっており、古代サビ族の知恵を証明しています。
ティヤの石碑
ティヤはエチオピアで発見された、考古学上最も興味深い場所の一つです。南部特別民族州(Southern Nations, Nationalities and Peoples Regional
State)にあるティヤと呼ばれる小さな町から東に500メートルの所に位置しています。合わせて36の石碑が建ち、そのうち32の石碑には彫刻が施されています。この地は葬儀が執り行われた場所で、石碑の周りは散乱する墓石が包囲しています。ユネスコの世界遺産にも登録されています。
ネガッシュ・モスク
ネガッシュはティグライ地方の中心地“メケレ”の東方、約60キロメートルに位置する小さい村で、エチオピアで最初のイスラム教モスクが建てられた場所です。また7世紀の初め、預言者モハマドと彼の一族が自国を追われエチオピアに亡命した際、当時の国王が暖かく受け容れた地として大変有名です。それ以来、ネガッシュはイスラム教とキリスト教とが平和裏に共存する象徴的な地として、歴史的にまた宗教的意味からも重要な地域として認識されています。
ゴンダール
ゴンダ-ルはアフリカの「キャメロット」と呼ばれ、17世紀にはエチオピアの首都として繁栄しました。ファシリダス皇帝とその後継者により19世紀中ごろまで宮殿が建設され、その多くが現存しています。中でも“インペリアル・クォーター”は、エチオピアのかっての繁栄を象徴する印象的な遺跡です。その他にも18世紀に建設されたラス・ベイト宮殿や、崩壊したクスカム宮殿内のファシリダス皇帝の浴槽、またユニークな壁画を持つデブレ・ベルハル・セラシェ教会など、大変貴重な遺跡が残されています。