文化の大地
想像を絶する遠大な歴史を持つエチオピアの文化や伝統は、遠く3000年以上遡ります。80以上の民族が、異なる言語、文化また伝統などを維持しながら共存しています。宗教的な教会儀式や祝祭日などが、人々の日常生活に色濃く投影しています。それぞれの行事は大変感動的で、またユニークなものです。エチオピア正教には最高位司祭が存在し、四世紀に端を発するこの独特の教えに現在も従い、高い誇りを持ちつつ信仰しています。また同時に多くの人達がイスラム教を信じており、国の東側また南東部でカラフルなイスラム文化が繁栄しています。事実、預言者モハメッドの生存中に、すでにイスラム教の信仰者が存在しました。その歴史は壁で囲まれた街“ハラール”に息づき、世界のイスラム教聖地“メッカ”、“メディナ”、“エルサレム”に続く第4番目の聖地として認識されています。
人々
アムハラ
アムハラの女性達は、上半身は身体の線が出るような引き締まった、でもスカート部分はゆったりした、そんな衣装をまといます。素材は純白の綿で端に刺繍のあるドレスです。男性は白を基調とした乗馬用のようなズボンと短い上着を着用します。裾や袖口などを彩る刺繍のほとんどはエチオピア正教のクロスをデザインしたものです。
ハラーリ
ハーラールのイスラム教徒達はカラフルな衣装で有名です。男性でも時に赤、紫、黒色などを身に付けます。女性達は髪を耳の後ろで丸く纏めます。また何世紀にもわたり彩色した繊維や藁を使い、大変カラフルで手の込んだ見事なバスケットを作ることで有名です。また美しい足首飾りやネックレス、ブレスレッド、銀鎖、イヤリングなどの銀細工でも有名です。これらの製品はマーケットでも購入できますが、最高級品はハラ-ルの男女職人達が作ったもので、ハーラールで見つけられます。
興味深い人々
オモ川下流は、“ブメ”や“コンソ”族の他、“ゲレベ”、“ボディ”、“ムルシ”、“スルマ”、“アルボレ”、“ハメール”などの少数民族の故郷です。彼らは独自のライフスタイルを維持しています。ただし他の文化に見られるような共通する器具や道具などを持ちあわせていません。しかし彼ら独自の芸術的ともいえる方法で、感情を表現します。例えば“スルマ”や“カロ”族は、泥や野菜の色素などを使って、互いの顔、胸、腕や足に綺麗な模様をペィンティングするのが得意です。これらは純粋に楽しみのためであり美的追求であり、そして互いに競い合います。
ティグライ族
ティグライ族の女性は、シュルバと呼ばれる編上げ状にした髪を、頭でまとめたり、肩まで垂らしたりしています。幼い子供達は小さい編上げを後ろに一本残して、頭を剃ってしまうことがあります。これは神様が天国から声をかけたとき、引っ張り上げてもらう為のものです。
オロモ族
オロモ族は市場で販売される作物などを生産しています。穀類や野菜などですが、世界で愛飲されているコーヒーは、この地域で生まれたと信じられています。
アニュアク族
ガンベラ地域で生活しているのは、アニュアク族です。土着のアニュアクは漁師であり、大変原始的な農耕法のため十分な収穫ができませんが、モロコシを栽培しています。大きな村は少なく、5棟か6棟ほどの“ハット”がマンゴーの木々の周りに建てられています。
アファー族
アファー族の多くは、最も過酷な環境である乾燥地域や砂漠地帯に住んでおり、気質が荒く好戦的であると言われています。誇り高くまた独立心が強い人々で、厳しい環境と戦いながら生活しています。彼らの多くは遊牧民ですが、その内少数の人達はアワッサ・オアシスに定着しています。彼等の大半はイスラム教徒で、連合、部族、組合などを組織しています。遊牧民は少人数で構成され、ラクダや羊、山羊や牛などと共に生活しています。
ソマリ族
低地に住むソマリ族は、色彩豊かな綿布を巻きつけますが、湖水地域に住む人達は皮革製の衣類を着用します。
南部地域民族
南部地域には100以上の民族が暮らしています。コンソやヤベロの南にはコンソ族が代々住んでおり、近隣ボレナからの塩やこやす貝の購入を除いて、外部からの影響は、つい最近までコンソ周辺までは届きませんでした。コンソ文化の基本は、決して肥沃な土地とは言えない山あいに囲まれた環境に、石で支えた台地を築き、農作物の生産を可能としている、大変特異な、また生き伸びるための英知に富んだ農業経済を成功させています。
フェスティバル
エチオピアの新年(エンコタタシ)
エチオピアは現在でもユリウス暦を使用しています。一年は30日ごとの12ヶ月と、残りの5日か6日の13番目の月とに分けられます。エチオピアのカレンダーは、1月9日から9月10日までは8年、9月11日から1月8日までは7年間、私達が使用しているグレゴリアン暦より遅れています。
エンコタタシとは「宝石の贈物」を意味します。かの有名なシバの女王がソロモン王の住むエルサレムから帰還した際、彼女の部下達は城を宝石で満たし歓迎しました。春の祭りとは、この時期から雨の季節、そしてそれが突然終わる時期まで、緑豊かな田舎の村々で、踊りや歌などが続きます。
しかしエンコタタシは宗教上の儀式のみではありません。エンコタタシには、子供達が新しいドレスを身に付け踊りながら、花飾りや小さな絵を家々に届けます。夜には各家庭で花火をし、そこで歌い踊ります。今日のエンコタタシは、花飾りに代わり、新年のグリーティング・カード(年賀状)を交換し合ったりもします。
エピファニー(ティムカット)
1月19日に開催される“ティムカット”、エピファニーは、エチオピアの代表的な祝祭日の一つです。参加者は誰でも見学できます。大変カラフルな行事で3日間開催され、キリストの洗礼を祝うものです。ドラマチックかつカラフルな式典は、前夜祭に数々の教会の十戒を収めた「契約の箱」を象徴する“タボット”を、僧侶が持ってくることから始まります。装飾を施した衣装をまとい、沢山のベルを鳴らし、トランペットを吹き、そして香を焚きながら、聖なる水または小川に近いテントへと持っていくのです。翌日、祭りの本番ですが、豪華な衣裳に実を包んだ司祭や僧侶達は、タボットの周りに集まり水をまき、誓いを新たにします。もし水量が多ければ浸ることもあるでしょう。その後、タボットが収められていた教会へと帰るあいだ、歌や踊りが続く中、司祭、長老、聖職者などの祝辞が続きます。3日目はエチオピアで一番人気のある大天使「聖ミカエル」に捧げる祭りです。
アディス・アババでは、町の北東に位置する“ジャン・メダ”に多くのテントが建てられます。2時にミサが行われ多くの人達がランプに火を灯して参加します。暁には僧侶達が、近くの川に儀式用の十字架でセットされた蝋燭の火を消します。
10月から雨季まで国土は急激に乾燥します。太陽が澄み渡った青空に輝き、ティムカットは毎年素晴らしい天気に恵まれます。
エチオピアのクリスマス(ゲンナ)
リデットと呼ばれる“クリスマス”は、宗教的に特別主要な行事ではなく、西洋諸国では世俗的なものになっています。エチオピアのクリスマス、1月7日は、人々が教会から教会へと移動し、夜中行われる教会行事なのです。この日には、伝統的に若者達は“ゲンナ”と呼ばれるホッケーに良く似たゲームをします。現在ではクリスマスとして知られるようになっています。
真実のクロスを発見した日(マスカル祭)
マスカルは1600年以上にわたり今日まで続いている祝いです。マスカルとは“十字架(クロス)”を意味し、コンスタンチン国王の母“ヘレナ王女”に苦しめられたキリストが、十字架を発見したことを祝ったものです。最初は326年3月19日でしたが、現在は9月27日に行われています。
儀式は女王へレナの伝説にまつわるものと言われています。マスカルの前夜祭に、マスカル・フラワーと呼ばれる黄色の可愛い花が、長い枝の上部に束ねられます。夜の間これらの枝は家々の門に飾られ火をつけられます。これは女王にキリストの聖墓の場所を誰も知らせなかったため、香を炊き助けをもとめ祈った姿を表しています。煙りが立ち上る場所を女王は掘り起こし、3本のバラを発見しました。その内の一本が真実のクロスであり、多くの奇跡を呼ぶと信じられています。
中世の時代に、アレキサンドリアの大司教は、エチオピア皇帝ダーウィットに、コプト教を擁護した礼として、真実のクロス半分を渡したとされています。
マスカルは、アディス・アババの北483kmに位置するウェロ地域の山中にある、ギッシェン・マリアム修道院のエグザビエル教会にある、真実のクロスを象徴するものです。この修道院には、ゼラ・ヤコブ(1434-1468)皇帝の時代に書かれた“テフト”と呼ばれる大量の文献が残されています。そこには粉々になったクロスが、どのように集められたかについて語られています。
祭りの時期は、山々に、そして平原や草原に、輝くような黄色のマスカルの花が咲き乱れます。踊りや集会、薪や、時には発砲などで祝福します。マスカル祭前夜は、町の広場や村々の市場などに苗木植えから始まります。人々はマスカルの花を載せた長い棒を持ち寄り、ピラミッドのように積み上げて燃やし、大きなかがり火を焚きます。枝を纏めた“チボ”は、“デメラ”と呼ばれる束に火をつけるために使われます。アディス・アババでは、町の南東に位置するマスカル・スクエアで祝福されます。
クルビ - 12月28日の聖ガブリエル祭
聖ガブリエルは家々や教会などの守護神です。アディス・アババの東、ディレダワに向かって70kmのクルビの丘に建つ聖ガブリエル教会へは、大勢の信者が巡礼します。巡礼者達は教会で懺悔を行い、子供達は洗礼を受けるため同行します。そして捧げものは貧しい人々へ配られます。